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つきねこさまからのメッセージ

今回のお風呂川柳最優秀に選ばせていただいた、つきねこさまから届いたメールです。
受け止められる方それぞれに、多くのメッセージを含む内容だと感じました。
「是非、このブログで紹介させてください。」とお願いしたところ快く承諾いただきました。

 
今回の受賞を帰宅した夫に話したところ、とても喜んでくれました。
実は、この受賞を夫の反応一つで辞退させて頂こうとも思っていたのです。
しかし、夫が喜んでくれた事で、私の中でも、震災以来、一つの区切りができたようで、この受賞を素直に感謝したいと思います。
改めまして、選んで頂きまして、本当にどうもありがとうございます。
2月の青森は寒いし、積雪も一番ある月ですので、来青されるかは安全第一でどうか無理なさらずにご判断下さい。

さて、今回の応募作品の背景をもう少し詳しく書かせて頂きますと、東日本大震災の時、夫の妹家族は石巻市で津波に遭遇しました。
同じ避難所で生活していた方が、避難所を探しあてて迎えに来た親戚の方と、姪と主人の妹を私たちが迎えに来るまでの間、その親戚の方の家まで一緒に行って待ちましょうと誘ってくれたのです。
その時、まったく見ず知らずのお宅でお風呂に入らせて頂いたそうですが震災の話はほとんどしない中で、よっぽど心温まる事だったのでしょう。お風呂のことは何度も、帰りの車中で話していたのです。
私たちも、本来、全くの他人である方々の優しさにふれどれだけ感謝した事か・・・。
その時のことが、今回ふと思い出され、川柳にしてみたのです。
青森でも死者や被害も海側は出ておりましたが、他県に比べればかなりマシでした。
多くの避難所で、自衛隊の仮設風呂も活躍していましたが、八戸市では海上自衛隊が被災者のために仮設風呂ではなく、部隊の風呂をそのまま提供してくれたりもしました。

姪たちにとってパパ方のお爺ちゃんお婆ちゃんが見つかったのは、夫の実家に連れ帰ってから10日位経っての事だったでしょうか・・・。
陸前高田に設けられた安置所に於いて次、また次にと見つかりました。
当時は火葬場も葬儀場も震災で使えず、秋田県側のご厚意でそちらで火葬を行い、お葬式に関しては夏まで待ち行いました。
あれから4年になろうという今。夫の妹家族は、いま、石巻を離れ、関東に暮らしています。
無我夢中というのか、あの時のことにふれないことで気持ちの均衡を保ってきていたとでもいうのか・・・。
それは、夫の妹家族だけではなく、年老いた夫の両親にしても夫にしても同じで・・・。
後世に教訓を伝えるには口を噤んでいてはいけないのでしょうが、それでも、嫁である私は、余計にも変な誤解を与える言い方をしてはならないと、震災に関する話題は夫と二人の時でも口にしてきた事はありませんでした。

でも、やはり・・・時間というものは不思議です。
時間の経過と共に、ジワリジワリと気持ちがむしばまれてくる人もいれば、私のように、いま、ようやく、少しずつながらあの震災を振り返り、時に友人や親戚の死を悼み涙ながらも新たな気持ちで進み始めてる人もいます。
自分を奮い立たせて、発信できる人から発信して行かなくては悲しい歴史を繰り返すだけですから・・・。

今回の受賞、そして、作品を見せたとき。この川柳が震災以来、震災について夫と話す第一歩となりました。
来られるかもしれないという事で、夫に話さないわけにも行かず話したのですが(笑)、逆にとても良いきっかけになりました。
受賞だけでなく、あの震災からの気持ちの上での再出発としても元気を頂けた気がします。
本当にどうもありがとうございました。
 

IMG_9228つきねこご夫妻と一緒にお出迎えしてくれたロクちゃんです。